2月6日、佐渡市小木の小比叡神社で「田遊び神事」が、佐渡市下川茂の五所神社で「御田植神事」が行われ、今年の豊作を祈願しました。田作りの様子を演じる予祝の神事は、佐渡島内では上記の他に、1月3日に佐渡市大久保の白山神社で行われる田遊び神事があります。
13時から行われた田遊び神事では、弓取りを行った後、田人3人が田作りを行うところを蓑を着たカラスとモグラ役が邪魔する様をユーモラスに演じており、笑いのハレの気に盛り上がりました。
15時から行われた御田植神事では、田遊び神事とは一転して厳粛な雰囲気の中、氏子が拝殿に一列に並び、神前で田打ちや田植えの所作などを演じました。
2017年2月6日月曜日
2017年2月5日日曜日
大崎そばの会
2月5日、羽茂・大崎の大崎活性化センターで大崎そばの会が行われました。この会は今回が40回目との事で、年2~3回ほど行われています。島内外や東京から駆け付けた約190人が、煮付け等の郷土料理や佐渡米のおにぎりと共に、佐渡産のそばを食べ放題で堪能しました。この日は用意したそばが足りないほどで、当初販売予定だったそばも急遽提供に回したとの事です。厨房ではそば打ちから茹で、盛り付けと地元のお母さん方が次々とそばを用意していました。
会場では文弥人形や大崎地区で古くから伝承されてきた芸能が披露され、会場は大いに沸き立ち皆楽しんでいました。
会場では文弥人形や大崎地区で古くから伝承されてきた芸能が披露され、会場は大いに沸き立ち皆楽しんでいました。
2017年2月3日金曜日
日本一早い豆まき ~毘沙門宵祭り~
佐渡市平清水にある多聞寺「毘沙門堂」で2月2日~3日にかけ、毘沙門宵祭りが行われました。この祭りは節分と旧正月の2年参りを合わせたもので、2日の晩から護摩供厳修や御開帳、豆まきが行われました。
この日は雪と凍結で滑りやすい大変厳しい状況でしたが、参道の階段を登ると御堂前で地区住民による甘酒のサービスがあり、参拝客の体を温めていました。また、宵祭りには欠かせない福飴の販売も行われており、昔は多くの飴屋で賑わいましたが、今では地区住民手作りの福飴が販売されています。
護摩供厳修では護摩壇に立ち上がる火柱と共に太鼓の音が響き、御開帳では年に1回、本尊の毘沙門天像が御開帳されます。聖徳太子が柳の霊木から二体の毘沙門天の木像を彫り、一体は京都の鞍馬寺に、もう一体が毘沙門堂に納められたとの事です。
豆まきでは、毘沙門堂の中には鬼はいないので「福は内、福は内」とだけ言って豆がまかれました。豆の中には小さなお札も混ざっており、お札を入手しようと参拝者は手を伸ばし袋を広げていました。また、豆まきの後には裏名物(?)のみかんまきも行われ、みかんが結構な勢いで御堂の其処此処に向けて飛んでいきました。
この日は雪と凍結で滑りやすい大変厳しい状況でしたが、参道の階段を登ると御堂前で地区住民による甘酒のサービスがあり、参拝客の体を温めていました。また、宵祭りには欠かせない福飴の販売も行われており、昔は多くの飴屋で賑わいましたが、今では地区住民手作りの福飴が販売されています。
護摩供厳修では護摩壇に立ち上がる火柱と共に太鼓の音が響き、御開帳では年に1回、本尊の毘沙門天像が御開帳されます。聖徳太子が柳の霊木から二体の毘沙門天の木像を彫り、一体は京都の鞍馬寺に、もう一体が毘沙門堂に納められたとの事です。
豆まきでは、毘沙門堂の中には鬼はいないので「福は内、福は内」とだけ言って豆がまかれました。豆の中には小さなお札も混ざっており、お札を入手しようと参拝者は手を伸ばし袋を広げていました。また、豆まきの後には裏名物(?)のみかんまきも行われ、みかんが結構な勢いで御堂の其処此処に向けて飛んでいきました。
2017年1月16日月曜日
小正月の五穀豊穣祈願 ~賽の神から鳥追いまで~
1月14日~16にかけて、佐渡市岩首地区で3日間にわたる五穀豊穣祈願が行われました。
集落の子供らが
・1月14日:夕方4時より賽の神
・1月15日:13時よりどんど焼き(松飾り焼き)
・1月16日:早朝4時より鳥追い
を行い今年の豊作を祈願しました。
この一連の行事は代々受け継がれており、昔は大人は参加せずに小学生と中学生で役割を分担していたとの事です。子供らは行事を通して集落のルールを学び、大人への仲間入りを果たします。
【1月14日:賽の神】
16時より集落の子供らが、家々を回りながら以下の文句を唱え施しを受けます。この賽の神に参加した子供らだけが翌15日のどんど焼き(松飾り焼)、16日早朝4時からの鳥追いに参加します。昔は家々を回りながら棒で壁や戸を叩いて厄払いとしましたが、住宅事情の推移により空き缶を叩くスタイルに変更されました。
「賽の神かんじん とうどや さんぎりちょう 大もうけ 小もうけ あっちの家は繁昌し こっちの家は上作し 銭も金もわくわく 賽の子は十三人 銭も金もわくわく」
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【1月15日:どんど焼き(松飾り焼き)】
集落の目の前にある岩首港の海岸に、午前中から家々の正月飾りや習字等を積み上げて13時より焚き上げます。昔は子供らだけで実施していましたが、現在は防災の関係上、大人も参加しています。一説では、焚き上げた煙で害虫を追い払う意味もあるとの事です。
子供らは前日の賽の神で唱えた文句を口ずさみながら積み上げた櫓の周りを周り、着火します。燃え上がった炎でイカを炙り、青竹の筒に酒を入れて熱燗にしてと大人は酒宴の様相の一方、子供らはマシュマロを炙って食べていたのが今風です。
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【1月16日:鳥追い】
14日の賽の神、15日のどんど焼きに参加した子供らが、早朝4時から以下の鳥追い歌を歌いながら集落を練り歩いて三周し最後にお宮に参拝します。一連の行事で厄と害虫、鳥を追い払う事で、今年の五穀豊穣祈願となります。
○ 京の鳥と 田舎の鳥と 渡らぬ先に七草あてて トホンボ―
○ 四郎左エ門の田の畦に 白い黒い寒鴉 追うて頼む 田の神さん トホンボ―
○ 十六日は 月の出 粉餅のか欠片は 今朝ばかり トホンボ―
※明治末期頃までは「唐土の鳥が 日本の國え 渡らぬ先に 七草八草」と唱えたとのことです。
集落の子供らが
・1月14日:夕方4時より賽の神
・1月15日:13時よりどんど焼き(松飾り焼き)
・1月16日:早朝4時より鳥追い
を行い今年の豊作を祈願しました。
この一連の行事は代々受け継がれており、昔は大人は参加せずに小学生と中学生で役割を分担していたとの事です。子供らは行事を通して集落のルールを学び、大人への仲間入りを果たします。
【1月14日:賽の神】
16時より集落の子供らが、家々を回りながら以下の文句を唱え施しを受けます。この賽の神に参加した子供らだけが翌15日のどんど焼き(松飾り焼)、16日早朝4時からの鳥追いに参加します。昔は家々を回りながら棒で壁や戸を叩いて厄払いとしましたが、住宅事情の推移により空き缶を叩くスタイルに変更されました。
「賽の神かんじん とうどや さんぎりちょう 大もうけ 小もうけ あっちの家は繁昌し こっちの家は上作し 銭も金もわくわく 賽の子は十三人 銭も金もわくわく」
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【1月15日:どんど焼き(松飾り焼き)】
集落の目の前にある岩首港の海岸に、午前中から家々の正月飾りや習字等を積み上げて13時より焚き上げます。昔は子供らだけで実施していましたが、現在は防災の関係上、大人も参加しています。一説では、焚き上げた煙で害虫を追い払う意味もあるとの事です。
子供らは前日の賽の神で唱えた文句を口ずさみながら積み上げた櫓の周りを周り、着火します。燃え上がった炎でイカを炙り、青竹の筒に酒を入れて熱燗にしてと大人は酒宴の様相の一方、子供らはマシュマロを炙って食べていたのが今風です。
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【1月16日:鳥追い】
14日の賽の神、15日のどんど焼きに参加した子供らが、早朝4時から以下の鳥追い歌を歌いながら集落を練り歩いて三周し最後にお宮に参拝します。一連の行事で厄と害虫、鳥を追い払う事で、今年の五穀豊穣祈願となります。
○ 京の鳥と 田舎の鳥と 渡らぬ先に七草あてて トホンボ―
○ 四郎左エ門の田の畦に 白い黒い寒鴉 追うて頼む 田の神さん トホンボ―
○ 十六日は 月の出 粉餅のか欠片は 今朝ばかり トホンボ―
※明治末期頃までは「唐土の鳥が 日本の國え 渡らぬ先に 七草八草」と唱えたとのことです。
「どんど焼き」が開催されました!
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